空気イスで月見 趣味ブログ

偏ってる系偏屈オタク 好きなものは好き

観劇記録「ダディ・ロング・レッグズ」(東宝)

2020年頃にJ-LOD(当時YOUTUBEに公演のダイジェスト動画を上げると支援金が出る制度があった)の動画を観まくっており、ついに見られた。

元々小説も大好きで幼少期から何度も読み返している。J-LOD動画はほんの数分だったけど、音楽がやさしくて素敵だな~と思っており非常に楽しみにしていた。なんと最前列中央を引き当てた!東宝坊ちゃんからのクリスマスプレゼントですか?ありがとう。

 

(坂本真綾さん回でした)

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非常に良かった。作品としてレベルが高すぎて、この作品に関してはこれが誉め言葉になると信じているけど「「「神二次創作」」」。そら何度も上演するわ。無駄な音もセリフも一音もなく、セットも作りこまれており、ストーリーとのシンクロがすごい。全てに「意味」がある。1幕でジルーシャが新しい広い世界に心躍らせていた曲は2幕で少し成長した彼女が全く違う意味で歌う。それをジャービスが聞いている。ジルーシャが新しい世界を見つけると、2人でセットの大きな窓を開く。ジルーシャがジャービスに「おくった」旋律をジャービスが歌う……あげるとキリがないんだけど、全てがストーリーと一体となって、ジルーシャとジャービスの「(手紙を)送る」「受け取る」「(愛を)贈る」を表現していて、それも2人芝居という形式だからこそ、2人の間のいろんなメロディ、セリフ、しぐさ…で「おくり」「うけとり」合う関係性をより濃く印象付けていて、すごいよこれがミュージカルだよ。(そうだよ)

特に2幕に関しては、原作以上に2人が対等であることを強調した演出だと思い、ジルーシャがジャービスにお金を返すところとか、最も顕著なのはラストシーンのプロポーズで、片膝をついたジャービスの手を、ジルーシャは膝立ちになって両手で包み込む。立ったまま手を差し伸べるのではなく。ジャービスも何かに気がついたように、膝立ちになってぎゅっとジルーシャの手を握る。

2人は寄付をする側/される側であっただけではなくて与えあっていた、ジャービスが「チャリティー」によって贈られた気持ちがあったように、ジルーシャは手紙を書いて送ることでジルーシャ自分自身を見つけ、贈られた教育によって自立していったからこそ2人は結ばれたんだと。それが見ていれば自然にわかるようになっていて、エンタメとして王道だし、何食ってたらこんなミュージカルとかいう超難度のパズルゲームを組み立てられるんだと思った。

全ての要素を一体にして作り上げる点において、海外作品(っていうかジョン・ケアード氏)のセンスとノウハウは日本オリジナル作品の百歩先を行っているんだよなやっぱり。日本の作品も素晴らしいものたくさんあるけど。

この二次創作マジで神だなと思ったポイントはいっぱいあるんだけど、特に神なのは、1幕でジルーシャの手紙に影響されてジャービスが名作戯曲・小説を読みかえすところwwwww原作小説を読んでると、まあ上流階級の教養あるお坊ちゃんだし、バイロンもブロンテ姉妹も当然読んでて知ってるだろう、と思ってたんだけど。でも舞台の上の前のめりジルーシャを観ていると、ジルーシャは読んだ本の感動したところや不満だったところを微に入り細に入りマシンガントークしたんだろうなとwwwwジャービスがジルーシャの話についていけたのは上流階級だから、じゃなくて読み返してたから、だとするとめちゃくちゃ腑に落ちるwwwwww神二次創作。

1幕、何でもない日常がジルーシャにとってはキラキラして新しくて、なんかもうずっと泣いてしまった。1幕が一番泣いてたまである。世界が広がっていくのって、嬉しいよね。普段あまりミュージカルみて元気貰えたとか、ないんだけど、この作品は自分も頑張ろうと思わされました。

観劇記録「シネマ歌舞伎 源氏物語 六条御息所の巻」(松竹)

歌舞伎座の秀山九月大歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」を通しで観て、もっと歌舞伎観てみたいなと思ったらちょうどやってたので観た。

菅原伝授手習鑑は全段観たけど、話が面白すぎてあっという間だった。特に筆法伝授の段の染五郎(源蔵)と壱太郎(戸波)がカッコよくてぶち上がった、週刊少年ジャンプみたいで。歌舞伎にしかないぶち上がり、ありますよね。あとたぶん私女形さん好きですね。澤瀉屋の笑也さんもだいすき人なので(にわかです)

(フォトスポット的なものがなく、写真がない)

 

 

玉三郎さま半端ないそれに尽きる。こわい。

本編前に玉三郎さまの作品解説映像があったんだけど、その素敵なおじさまと、本編の素敵お上品マダム六条が同一人物なのがちょっと大分信じられない。女形の技術すごい。

自分は絶対光源氏のいちばんになれないのは分かっていて、諦めよう、割り切ろうとしているけどそうはなれない、光源氏のことが好きすぎる六条…

本来は聡明な素敵マダムなのに、光の君のことになると心が揺れてしまって、そんな自分がまた惨めで……みたいな1人の人の心の揺らぎがフィルムからでもびしびし伝わってきた。光とのセリフのやりとりは、現代でもありそうなカップルのぎくギクシャクやりとりで、わーあるある!そういうのありそう!になりすぎて笑った(笑うな)他人の悲劇って喜劇。いやほんとに六条の苦しみとか喜びとか悔しさがものすごい伝わってきて思わず苦笑いしましたね……

所作もすばらしいけど、声の表現がやっぱりすごい。特に生霊になってしまうところの低音のセリフ!一音で「異形だ!!」とわかるぞくっとするような声。ぐっと持って行かれた。いやー劇場で生で聴きたかった。

 

観劇記録「朗読劇 グレート・ギャツビー」(VoiceBox)

オーソドックスな朗読劇に行ったことがなく、好きな声優さんたくさん出るし、わりかし好きな劇場でやるし、話も面白そうなやつだから行ってみるかあーと軽い気持ちで観劇

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まさかグレート・ギャツビーで抱腹絶倒すると思わないでしょww岸尾だいすけお兄さんのアドリブ地獄に振り回されるほか4人のキャスト(特に下野紘)を見ているのが楽しくて仕方なかった。次何するんだろう!?みたいな。特に岸尾・羽多野が二人でDJし始めた時、下野紘が笑いすぎて再起不能になっており、かわいそうだった。しもんぬは被害者です。

でも物語もちゃんと伝わってきて、元が結構な長編なので所々編集されているような気はしたけど、全然気にならず、各人物の言動の裏にあるものとかが芝居から感じられて、声一つで1920年代アメリカの情景が作られていた。朗読劇なので普段なかなか見られない声優の生芝居が見られるわけだけど、皆さん結構動いたり、何なら踊ったりしており、表情も作っている。観客は舞台上の景色を見ながら、脳内でグレート・ギャツビーの世界を見ているけど、キャストさんたちの動きとか表情が結構リアルで、今何が見えていて、どんなことを感じながら芝居されていているのかなーと思った。こういうのを見られるのも朗読劇の魅力なんですね(朗読劇初心者の感想)

全員何役も演じ分けていて、それでも聴いてて各役がちゃんと入ってくる、役のビジュアルまで浮かぶような、それが声優の「技術」なのだなあと体感できた。

朗読劇とはいうものの、セットは組まれているし、転換もあるし、小道具演出もつくし、動きの指定も所々あるようだったので、結構舞台寄りだったのか?わかりませんけれども。セットが抽象的ながらも物語が分かりやすくなっててよかった。物語上、あっちこっち移動するんですが、その理解をかなり助けてくれたように思う。

物語は言ってしまえば悲劇で、途中の展開もハラハラが続いて本当に話が面白いので古典名作文学すげえなのですが、それを伝えてくれる朗読もすごい。いや朗読がすごい。でもただ原典通り悲劇だったなあ、諸行無常だなあで終わるのではなくて、アドリブ祭りであー面白かったで終われるのが最高にエンタメだな、と思ったし、現代との入れ子構造を作って物語のオチにメタ的な突っ込みを入れているところも2025年だからこそでよかった。投資にはリスクが伴います。

観劇記録「ライオンキング」(劇団四季)

約20年ぶり3回目の観劇です。

前回観劇時は一桁年齢だったため、細かい記憶はほぼないものの、ディズニーアニメ版は文字通り擦り切れるほど観ている。たまたまチケットをのぞいたら、たまたま2階の最前列ドセンターが取れたので見てきました。

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シンプルにもう一回見たい。演劇の原点を全部ぶっこんだみたいな作品だなと思った。

セット、照明、振り付け、音、パペット、影絵……とにかく使えるものを全部使って、有明の中規模劇場がアフリカの大地になってしまう、叡智と工夫すごい。人間はライオンでもハイエナでもキリンでもないんだけど、いろいろな工夫が組み合わさって舞台上の俳優さんたちはまさにその「動物」にしか見えない。ただストーリーを追うと、これは動物の話ではあるけど、動物「社会」の話であって、世界の「輪廻」の話で、人間も動物に過ぎずその大きな流れの中にいる、これは「命」の物語なのだなと思った。そうしてみると、それぞれの動物は人間と重なるなと思い(ライオンは特権階級か、ハイエナは差別されている、キリンは…等々)、人間が人間の身体のまま着ぐるみを使ったりせずに演じる意味がある作品なのだな、と思った。

音楽はもちろん素晴らしくて、特にムファサがシンバへ歌う「お前の中に生きている」はアフリカの夜の静かだけど生き物のささめきが聞こえるような音が私は大好き……かと思えば、エルトン・ジョン大サービスのロックナンバー「食っちまえ」とか超絶ショータイムなティモンとプンバァの曲(食べられそうになりながら歌うギャップが面白いw)もあったり、なんていうか全然飽きない。次々違う味のやつ出てくる。それもまた動物たちの個性が出ていていいなあ。アフリカの現地語の歌唱もあり、楽曲によって声を使い分けているので歌う側は大変だと思うけど……「ハクナ・マタタ」の大人シンバ一発目のハイトーンボイスはすごすぎて笑い止まらなくなる。

ダンスの凄さはもう言わずもがなだけど、すごすぎて、動物の動きをしみこませるまでにどれだけ稽古したんだろうかとか考えてしまう…ヤングナラはおませさんなので、大人と同じ振り付けを踊っていたりしていて、そういうのも良い。これだけ統率されてハイレベルに踊れるの劇団四季以外にないのでは?勿論動物パペットやお面つけたまま動いているので、それらを操作しながら常に動いているわけだけど、顔のちょっとした角度、光の当たり方、振り向くモーションとかで心情を表現していて、すごい(語彙)。お面の使い方は能だなと思ったり。あとキリスト教的な思想がありそうな場面もたくさんあるけど、なんか全体的に禅も感じたり。

機構が多分すごく凝っていて、回るし、せり出すし、水も使うし、なんか飛び出すし、これは1つの劇場での長期公演を前提としないとできないのかもなあ。そういう視点で見ていると、ちょっとした明かりもすごく細かく作られているのでは?と気づくなど。知らんけど。ロングラン公演ができるからこういうことができるBWやWEの作品を少しうらやましくも思い、後発レプリカ公演とはいえ日本でそれを約30年成し遂げている劇団四季はバケモンである。色々な意味でミュージカルの王様作品。

推しキャラはプンヴァです。かわいい。死ぬほど臭いイノシシとか設定それだけで面白いのに一挙手一投足あんなにかわいい。子供の頃もプンヴァ好きだった記憶があり、当時の自分と一緒に観ているようでちょっと感慨深かった。各場面でもああヌーが怖かったなあ、とか子供の頃の観劇記憶が蘇り、でも今観ている自分は大人なので大人の視点で観ていて、すごく面白い体験だった。こういう体験がまたどこかでできるように、ライオンキングに限らずどうか上演続けて欲しい…

 

「か弱い天使」の自覚がある天使最高すぎた〜DETONATOR東京〜

2023年末に蒼井翔太さん3rdアルバム『DETONATOR』発売されましたね。

私の通勤時間のお供です。

 

というわけで行ってまいりました、アルバムツアー東京公演。

当日の朝にTwitterを見ていて急に思い立って行ってきたよ!

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(ポスター撮りが下手)

アルバム『S』くらいまでコンスタントに聴いてて、最近またライブアルバムやアルバムをちょくちょく聴いている、にわかとすらいえないそこらへんの人です。

ただ、2018年のQUARTET NIGHTのライブでのパフォーマンスがすごすぎて、この方だけの時間もさぞ楽しいだろうなあ、いつか単独も行きたいなあ、と思ってはいました。有言実行のオタク。

 

完全にロス。もう一回最初から観たい。

初っ端「Free style lover」から3連続でフルボルテージの曲を持ってくる気合にこっちも沸騰したし(衣装とダンスが韓国アイドルぽくてかっこよかわいかった)

その後もものすごい勢いで進んで一瞬で終わってしまった。

たぶん各ブロックにテーマがあるのかなーと思わせる選曲で、テクノポップのブロックもあり、ゴリゴリの重たいロックあり、お衣装変えて物語性の強い曲のブロックあり、「8th heaven」のブロックは「願い」「天使」かなーとか。

こんなにもたくさんの色んなテイストの曲を歌ってきたのだなーとほんっっとうに感動したし、何よりご本人がめちゃめちゃ楽しそう。

各曲色々意図があって、こういうふうに歌おう!ライブだからアレンジしてみよう!こう踊ろう!みたいなのはたぶん何度も稽古して練り上げて持っているんだろうけど、決めたことにとらわれずに心から今のその瞬間を楽しんで演ってらっしゃるのが伝わってきて、なんだかものすごい幸せなライブだった。

あと恐ろしいくらい歌が上手い。知ってたけど何度でもびっくりするうまさ。mcとかの素のお声も心洗われる美しさだけど、声色も表現も柔剛多彩。声の自由度がすごい。歌い手として歌っている曲もあれば、曲の主人公になっているかのような曲もあって、2.5時間に詰め込まれすぎなくらい。

しかもそれを踊りながら、ダンサーさんやバンドさんやファンとコミュニケーションを取りながらできるのが本当に意味がわからない。しかも歌詞モニを置いていないようだった。体力も記憶力も桁違いである。実はロボットとかなんじゃないの?(ご本人も言っていたけど笑)

しかもライブの1番最後に「バチクソに盛り上がりましょう!」と宣言して、歌とダンスがぶっちぎりで激しい「give me ♡ me」を持ってきたのはもう戦慄した。ぶっちゃけ口パクを疑った。本当にごめんなさい。信じられない人間と思えない。マジで歌いながら踊っていた。

「give me ♡ me」の曲調も振り付けも大好きでダンス動画何回も見ちゃっているくらいなので、聴けたのは本当に嬉しかったのだが、超ハイカロリーなライブのラストにこれを持ってくるパワーに震えた。

mcでも「(1日)2公演できる、やらないけど」とおっしゃっていたのは嘘ではないんだろうな。すごいわ………。

終盤mcで「みんなの未来を切り開く剣になりたい、こんなか弱い天使が?って思うかもしれないけど、全く怖くない!」(意訳)とおっしゃっていて、笑いも起こっていたけど笑、むしろ「天使」です宣言をされてもろもろ腑に落ちたし、こんなパワーを振りまくサイコーな存在、きっと何にでもなれるすぎる。ギターのみさみささんもおっしゃってたけど曲によって豹変するんだよね。

 

オタクに「お水おいしい!?!?」されて「これお水じゃないです!ココナッツウォーターです!」してたのもかわいすぎた。

 

セトリが知りたい。

歯ぁ食いしばれ!!!!『推しの子』1話観た

推しの子1話だけ観た。マジで1話しか観てないからこの先覚悟が決まって2話以降を観たらここに書いたことが全部ひっくり返る可能性あるけど、それはそれで面白いから今の時点で思ったことを書く。

 

オタクの身で見るにはめちゃくちゃ覚悟のいるお話でしたし、Twitter中毒患者やってる身としてもめちゃくちゃ覚悟のいるお話でしたね~……それが何となくわかってたから観てなかったんだけどね……

 

ものすごいネタバレをするので歯を食いしばってほしいけれども、「推し」のアイちゃんが死んでしまうシーンを見て、セリフを聞いて、すっごく悲しくて悔しかった一方でアイちゃんよかったね、強くて美しくてアイドルって最高だな愛だわという感想を抱いた自分もおり、というかそっちの方が強かった自分気持ち悪いな今まで一体何を見てた??という気持ち悪さがめちゃくちゃあり落ち込んでいる。

相手は生身の人間だってルビーちゃんも言ってたじゃん?????母親幻想を抱くなってアイちゃんも言ってたじゃん?????

 

↑みたいなキャラのセリフを通したカウンターパンチは作中にもありつつも、SNSを批判したかと思えばネット上の「推し」との交流を肯定するような描写があったり、そもそもofそもそもだが推しの子供に転生してウハウハライフという発想が人間をしっかりと消費していたりもして(アクアくんは踏みとどまろうとしていたけれども)、芸能界の残酷な面を描きながらも、その内部のハラスメントでは?な言動は「当たり前」なものとしてさらっと流されていたり、風刺的なところはあるけれど、批判に徹するわけでもなくむしろ肯定するような感じすらあるのかなーと

 

これは完全に憶測だけど、作者の方は昨今流行りの「推し」とファンの関係を批判したい、というような思いは特に強くなく、舞台装置として単に利用していて、否定も肯定もするつもりはないんだろうか……でもこれをそのまま「在る」ものとして描くには現実に取返しのつかないことが起こりすぎているよなあ、とも思い、この作品を「コンテンツ」として消費することにめちゃくちゃ迷いがある。いや面白かったんだけど。すごい泣いたけど。シャツの袖の色変わるぐらい泣いたけど。

 

ここから復讐ものになっていくのなら、なんか幼女戦記みたいな戦略ものになるのかなあみたいな変な想像もしつつ、ただアクアとルビーの前世の話が絡まないわけもなく、そうすると二人の関係性ってやっぱりファン同士というところから抜けがたくもあり、そうするとアイちゃんの亡くなった2話以降、やっぱりアイちゃんもう偶像にしかなりえないのでは…でも兄弟にとってはお母さんでもあるし……

 

1話でもアイドルは人間か?偶像か?みたいな二元論と、そう割り切れないオタク心理・アイドルの胸中が描かれていたし、なんというか悩みどころである。

アイちゃんを刺したオタクは、アイちゃんが自分の思う偶像ではないのならば殺してしまえという大層身勝手な頭をしているので到底許せないのだが、それを許し受け入れ理想のスターでいてくれたアイちゃんの言葉は、果たして偶像だからこその発言なのか?その言葉が説得力をもつのはやっぱり彼女がスターだからなんだけど、アイちゃんは血の通った人間で、周りのみんなにきれいな夢を見せるというスタンスは彼女が貫いた生き方ではないの?

そのあと犯人が自殺したのも、アイは偶像ではなくて、血の通った一人の人間として生きていた、自分にすら向き合ってくれていた現実のだれかを殺してしまったのだということを理解してしまったからではないのかなあ。それともアイはやっぱり「アイドル」だったと思ったからなのかなあ。両方だと思うんだよなあ。襲った後アイちゃんがあの言葉を言わなければ犯人は自殺しなかったと思う。でもそれを言えちゃうアイちゃんはやっぱスターなんだよなあ。

 

2話以降、マジでお話がどっちにいくのかわからなくて(転生ものにマジで舵を切るのか?アイドル論なのか?アイちゃんは偶像にすぎないのか?視聴者オタクをさらなる悩みのうちに立たせるのか?)ぜんっっっぜん観る覚悟が決まらない。

落ち着いたら観る。たぶん。

藍ルートに感じていた違和感の話

ASとASASの藍ルートをやっていて、なんか綺麗っぽい話だけどそうじゃなくね?となった話。

 

藍ルートは一言で言っちゃえばロボットが心を得て自我を得る感動物語なんですけど(雑)。そして私もめちゃくちゃプレイしてめちゃくちゃ泣きましたけど、あれこれ本当にそれだけかな??という話。ディスるつもりはないが、素直な感動を奪う文章ではあるので無理は方はここで回れ右してください。

 

1 前提として

まず美風藍は人間ではない。彼の所属事務所の社長が出資して作られたアンドロイドであり作中ではソングロボと呼ばれている。そして彼自身が自らの目指すアイドル像を「ボク自身がなりたいアイドル像っていうのはあまりない。ボクはみんなに求められるアイドルになりたいと思ってる。応援してくれるみんなが、美風藍というアイドルを作り上げるんだ。」[1]と説明している。

 

2美風藍は誰のことか

 美風藍にはモデルが存在する。所属事務所の先輩にあたる如月愛音という将来を期待された若手アイドルだったが、プレッシャーで心身を病み10年以上前に失踪している。如月愛音の存在を惜しんだ人間が3人いる。1人目が事務所の社長であるシャイニング早乙女だ。彼は稀有な才能が失われたことを嘆き、莫大な費用を投じてロボットにアイドルを務めさせる実験を始めた。2人目が実験を依頼された博士という人物。実は如月の叔父にあたり、家族とうまくいっていなかった博士だが如月とは親交があった。美風のビジュアルと声に如月のものを使うことを決めたのも博士である。3人目が美風と同じグループに所属するアイドル寿嶺二だ。寿は如月と同級生であり、如月の失踪を止められなかったことを悔やんでいる。3人は、博士の美風に対して如月愛音を投影し、理想を投影している。如月は早乙女にとって望ましい才能を兼ね備えた理想のアイドルだった。博士にとっては愛する甥であり、寿にとっても如月は理想のアイドルでかけがえのない友人であった。それぞれの理想像を投影して生み出されたのが美風藍である。まあ詳しいことはゲームやれば分かるけど、例えば嶺二は藍に会った時「アイネ」と呼びかけて、しばらく納得しない。博士もソングロボ計画に乗ったのは愛音の影を追ってだろう。

 ロボットである美風は歌やダンスの技術面では正確無比の高いクオリティを有しているが、感情を持たないことで生まれる軋轢や表現の乏しさの克服がゲームのシナリオの大筋となる。まずデビュー直前に彼は人間社会で生活するための教育を受ける。マナーやルールはもちろんだが、様々な文学や映像作品に触れ感想を述べる形での情操教育も施された。当然ロボットであるため、周りの人間が求めるような感想は出てこず美風は困惑し、それに対し人間たちは温かく見守る姿勢を見せていた。しかしストーリーの終盤、主人公春歌と藍自身が3人の支配を受けず活動を続けるために美風自身のシステムの一部を破壊する行動に出た時、周囲の反応は冷たい。明らかに彼らが求めていたような自我や欲求が表れているにも関わらず、彼らの理想を逸脱しようとする行動は彼らを困惑させた。

また反対に、彼は大きな自己犠牲によって主人公への愛を証明したが、自らを破壊するまでに至らなければ自分が人間と共に生きられることを証明できなかったといえる。事実、その後美風自身がアイドル活動を続けたい意志を知り、主人公への強い思いも理解した博士たちは独り立ちした美風藍を認めている。

この自己犠牲→承認のプロセスは明らかに、美風藍がアンドロイドだから求められていて、だからこそ逆に求められたものといいますか。アンドロイドなら、息切れすることも音を外すこともなく「完璧な」パフォーマンスを行うことができる。しかし周りの人間たちが求めたのは完璧さでなく、人間の持つような揺らぎやそれに依ったパフォーマンス性である。よって、完璧であるはずのアンドロイドは永遠に完璧なアイドルになることは本来ないはずだった。それが自己犠牲によって「人間らしさ」が発生し、彼は3人に認められるに至ったのである。ここには第一に、完全無欠なロボットに人間が勝てる部分が存在するという強い主張があると思う。3人は如月の代わりが欲しいと願いながらも代わりなどいないと考えていて、特に早乙女と寿はロボットにアイドルが務まるとは考えたくないのである。第二に、歩みよるのは人間でなくロボットの側であり、ロボットが完全性を失い、人間の目的に沿う形でしか存在し得ない。周りの人間たちの歪んだ支配欲を読み取ることができるんじゃないだろうか。美風藍は自立前も後も周りの人間の理想を体現する存在なのだ。そもそも美風が作られた理由は如月が周囲のプレッシャーによって失踪したことが原因であったが、周りの人間たちは同じようなことを繰り返している。この意味で本作はアイドルという周囲に見られながら表現をし続ける職業について、皮肉な視点を提示している。ここから脱け出すには、嶺二、博士、社長が藍と愛音は別の人間だと本当の意味で解る必要があるのではないかと思うけど、ASASでその兆しはあったので早くDolce Vita出してください。

 

3

 「みんなに愛されるアイドル」の「みんな」とは誰なのだろう。もちろん、彼は彼のファンを想定して発言しているだろう。そして、周りの人間たちも含まれるだろう。美風藍を開発し、作ったのは周りの人間たちであり、現在のような完璧でないアイドル像へ導いたのも周りの人間たちである。だとするならば、美風のファンたちは彼の何を見てかわいいと発言しているのかというと、彼の周囲の人間が投影した像とファン自身が投影する美風藍像と言えるだろう。確かに公式プロフィール通り、「見た目は綺麗で可愛いが、言動はさっぱり可愛くない。」[4]のである。さらにうたプリが複雑なのは、アイドルたちが「実在」しているとオタクが信じていて、その裏話も表舞台も全ての「物語」をオタクたちが共有しているところだと思う。つまり、オタクたち、全部わかった上で「感動」している。これは輪をかけてグロテスクじゃないか。

 

一応もう一回弁解しておくけど、うたプリに恨みがあるとか社長が嫌いとか全然そんなことはないです。そうじゃなくて、AIと人間みたいな割と新し目な(新しくはないか?)設定で人間模様を描く乙女ゲーを作ってみたらめちゃ面白いけど、AIと人間の歩み寄りの限界も垣間見えますねと言いたい。逆にそこまで書いてるゲームライターさんはすごいと思う。あとASASで前進の兆しが見えるのもすごいと思うから早く先を見せてほしい。

Dolce Vita発売いつですか?

 

 

[1] 電撃Girl’sStyle編集部『うたの☆プリンスさまっ♪ 5th Anniversari Book』KADOKAWA、2016年、124p

[2] 「うたの☆プリンスさまっ♪ キャラクター」うたの☆プリンスさまっ♪公式ホームページ https://www.utapri.com/character.php (2022年11月13日閲覧)

[3] 菊地浩平『人形メディア学講義』河出書房新社、2018年、310-311p

[4] 「うたの☆プリンスさまっ♪ Debut キャラクター」うたの☆プリンスさまっ♪ Debut 公式サイトhttps://www.utapri.com/game/debut/character_ai.php (2022年11月13日閲覧)