空気イスで月見 趣味ブログ

偏ってる系偏屈オタク 好きなものは好き

『こころ』を久しぶりに読んだら面白くなかった

色々あって読み返したんだわ、夏目漱石の『こころ』。高校の時教科書に載ってる世代だったから一度読んでいる。その時は「私」かわいいな〜先生のこと大好きだな〜とか、先生の偏屈さがつらい…!とか、先生とK絶対付き合ってるだろとか言いながらけっこう楽しく読んだ記憶があるんだけど、読み返したら全然面白くなかった。マジで? まあ記憶が改竄されている可能性もなくはない。

正確に言うと、「私」が語り部の上と中は割と楽しく読めた。下がダメだった。実を言うと下の途中で脱落してしまったので厳密には読み返せていなかったりする。読んでねって言ってくれた人ごめん。でもだめだった。

「私」の語りには、まあ大体高校当時と同じような感想。こいつマジでめちゃくちゃかわいいな。受けにしてやろうかと腐女子筆者。なんかかわいいじゃん。人間が出来上がっていなくて。女と抱き合うための準備段階として先生のところへ行ったんだよお前はみたいな。すごい身の振り方暗中模索しててかわいいんだわ。卒論適当に仕上げててかわいいよ。先生のちょっとした言動にす〜ぐ振り回されてあれこれ考えててめちゃくちゃかわいいじゃん。しかもこれ「私」が思い返して書いてる体でしょ? 先生が亡くなってしばらくしてからも先生のことを考え続けてるってことじゃん? 今が昔ならオタク又の名を読者に「クソデカ感情」って言われるやつだよオタク知ってる。

でもな、下でな、先生のクソデカ自意識の語り聞かされるの、筆者しんどかった。無理だった。こいつ何なの? が先行しすぎて感情移入もクソもなかった。クソ。いや、Kも、Kもよ。巨大自意識の自意識バトル、仮想敵との虚無へ向かってのバトルとでも言おうか、読んでてマジでしんどかった。お前たちの話は聞いてないんだよ。いやそれ言っちゃおしまいなんだけど。先生は明治の時代と心中し、Kと時間差心中し、この巨大自意識と心中することで一つの時代とともに終わっていったんだわ、って思うことにした。永遠に終わっててくれ……!

ここまでだとただの罵詈雑言なので多少まともに自分の感想を考えると、クソデカの功罪なのかなと思った。「私」のクソデカは若さ未熟さで許せるのと、先生が巧妙に一線を引き続け(まだいけるかもと思わせる引き方なのが非常に悪質なんだけれども)依存まではいってなかったり、2人の年齢差もあるから2人が共有しているものは少なかったりして、たぶんこれ以上何も起こらない2人だと思うんだな。「私」はほぼ確実に別の人間のところに行くと思う。

でも先生とKのいきさつなんか読むと、お互いに与え奪いしてきて、壮絶なマウントの取り合いが存在していて、でもなんか2人ともそれを自覚していないっぽく先生が懐古している感じがするじゃん? お互いの急所を完全に分かっててお互いに駆け引きに近いことをほぼ無自覚にしている(ように先生が遺書を書いている)。それによって失われたものがさあ、細君の人生だったり、それぞれの縁故ある人たちだったり、もちろん本人たちの人生だってぐっちゃぐちゃになっているわけじゃん。これをさ、お互いの想いが地獄化してしまった結果2人のワンダーランドを作らざるを得ないメリバと考えてホイホイするのも別に全然解釈の自由だと思うし、自分も初めて読んだ時は割とそう思ったけど、なんか読み返して観たらそんな周りの人間も何もかも全てを壊してできたワンダーランド、私はおいしくいただくことはできないなと思ったのだった。誰も悪くないっていうか完全に2人が悪いじゃん? っていうか2人のこの迷惑すぎる自意識を生んでしまった周りの人間や時代が悪いのでしょうか。まあ善悪の問題じゃあないけどね。以上。

 

同じ作者でも幻影の盾やら薤露行やら琴のそら音やらファンタジー色強めなものはけっこう面白かったんですが……。